「稀覯本の世界」掲示板より

稀覯本の世界」(http://kikoubon.com/)という文学関係のサイトの掲示板上で、倉田啓明について幾らかの論が交わされたことがありました。以下はそれを切り貼りし纏めたもので、何らかの参考になるかもしれません。転載のご許可を下さった管理人様、どうもありがとうございます。

ちなみに一言補足しておきますと、倉田啓明が居を借りていた北島春石の妻小野清子の名を借りて発表した「本朝王昭君」は単行本ではなく(後に懸賞当選作品集などといった形で単行本化された可能性は否定しきれませんが)「万朝報」誌大正十年五月八日掲載の懸賞当選戯曲です。

 

Salon de 書癡 過去ログ 2002 8

 

漫談投稿者:YT 投稿日:820()234418

YT生です

昔の目録、大変興味深く拝見しております

ところで稀少雑誌の「漫談」はいつまで出ているのでしょうか、先日、古書目録で三巻三号を入手致しました。

読み物の中では倉田啓明という作家の時代小説が出色でした。この作家はご存知でしょうか?

是非、ご教示をお願いいたします。

 

漫談投稿者:管理人 投稿日:821()014553

YT生様

「漫談」の終刊は今のところ不明です。

小生は昭和712月の三巻十三号までしか確認しておりません。

月刊の場合通常は十二号での年度替りですが、この年は一月一日に三巻一号が出て一月十日に更に臨時増刊号が出ています。

面白いことにこの号も奥付に三巻一号となっております。

それは後ほど修正されたので昭和7年度は通巻十三号となりました。

さて倉田啓明ですがこれが本名なのかペンネームであるのかも判っていないと思います。

実に才能豊かな作家であり、その才能ゆえ谷崎潤一郎の作品をでっち上げて出版社に売り込み、その事が露見して中央の文壇から締め出されたと聞いております。

社会主義新劇史の研究では第一人者でありました故松本克平さんが倉田啓明に相当こだわっていまして、小生も大分資料提供をしたのですが、その研究は日の目を見ないままになってしまいました。

 

倉田啓明投稿者:YT 投稿日:822()122112

管理人様

ご回答有難うございました。「漫談」の第四巻目を見つけましたら即座にお知らせ致します。

倉田啓明ですが管理人様のお話を伺いまして、とても強い興味を覚えました。私も探求してみたいと思います。

 

Salon de 書癡 過去ログ 2003 7

 

観音劇場 投稿者:PENぺん  投稿日: 713()132016

管理人様

ご無沙汰いたしております。今年になってから比較的幸運に見舞われ辻潤 『浮浪漫語』の美本と『響影』は勿論裸ですが入手できました。また管理人様 の薫陶を得まして関連の書物も随分読みました。先ごろ以前から捜しておりま した管理人様と深い親交がおありになった松本克平氏『私の古本大学』をやっ と買う事が出来ました。以前ここで話題にあがりました「倉田啓明」の事など 興味深い内容が満載で大変勉強になりましたし、ここに掲載された珍しい本の 数々を探してみたい意欲をそそられました。

特に暫く前に管理人様がお書きになりました辻潤、出演の浅草「観音劇場」公 演の『夜の宿』に共演した小生夢坊と喜歌劇『トスキナ』の作者、獏与太平の 二人が興味深いものがあります。 松本氏は小生夢坊の著作に就いては比較的詳しく解説しておりますが、その後 の彼等については一言も触れておりません。お分かりの事がありましたら教え ていただきたいのです。

 

Salon de 書癡 過去ログ 2003 9

 

初めまして 投稿者:萬嘯廬  投稿日:10 7()203742

管理人様初めまして。

わたくしのごとき素人が跨ぐに高い敷居を少しだけ跨がせていただきます。 御教示願えれば幸と存じます。

大正から昭和初年辺りに三田文学界隈で何かと物議を醸したと思われます 倉田啓明に一本に纏まった作品はどれ程存在するのでしょうか。 わたくしの残薄な知識では小説が一冊と戯曲集が一冊、それと小野清子の筆名にて 書かれた物以外全て雑誌に掲載されたもののみのようです。

管理人様の蔵書にはございますか。

先週の土曜日、神田の某古書肆にて管理人様らしき方をお見受けいたしました。

勿論、突然話しかけるような毛の生えた心臓は持ち合わせておりませんが。 土曜日以来、金策が頭痛の種となっております。

 

倉田啓明 投稿者:管理人  投稿日:10 9()231108

萬嘯廬様

以前、ここに書き込みましたが、もう故人になられましたが新劇俳優の松本克平さんが倉田啓明にとても興味を抱かれておりまして、小生も雑誌の掲載作品を何点かお渡し致しましたが、倉田啓明に単行本があることは全く存じませんでした。そして小野清子云々も勿論初耳です。 差し支えがございませんでしたら、倉田啓明と小野清子の本の詳細と小野清子の筆名を倉田啓明とする根拠を御教示戴けませんか。 当然、萬嘯廬様の御質問に対する返答は「お手上げ」です。

 

舌足らずで申し訳ありません 投稿者:萬嘯廬  投稿日:1010()010138

管理人様

管理人様のような方に御教示などと言われてしまってはキーボードを打つ手が震えます。 わたくしも当然倉田啓明の単行本などお目にかかった事もなく、 小野清子の筆名を倉田啓明とする根拠」と言える程のものもないのです。

ネットのような公の場に実名を出してよいものやらわたくしには判断出来兼ねますので 実名を伏せる事は諒としていただきたいのですが 以前京都の某出版社に問い合わせたところ、「読者の方々の情報に拠りますと・・・」 という前書きであのような回答書翰をいただきました。 具体的な書名までは不明との事でした。 このH.Pを御覧の方々ならすぐに判る出版社です。 わたくしはこの出版社の仕事を信頼し、また畏敬もしております故情報も確かと信じていただけの事なのです。

また、数年前神田のAという古書肆が倉田啓明を幾つか纏めて仕入れたとの 情報を得まして、直接訊きに行きましたところ「単行本2冊と雑誌が何冊かで*百万円 と附けたんですよ」と言われました。 わたくしはこの古書肆と懇意にしているわけではありませんので、それ以上の詳しい事は教えてもらえませんでした、まあ当然といえば当然です。 しかし管理人様のお話を読みますと、それは松本克平さんの蔵書ではなかったかと想像されて来ます。 その松本克平さんに掲載雑誌を手渡された管理人様が「お手上げ」と仰有るのですからわたくしの情報の信憑性も怪しい気がいたします。

わたくしが調べた範囲だけでも松本克平さん以上に倉田啓明の情報を持っている方は存じません。 何かとまことしやかな噂が先行する物書きですから怪しげな情報も多いのかも知れません。

御回答ありがとうございました。

 

倉田啓明 投稿者:yamanaka  投稿日:1010()022408

話題となっております倉田啓明についてですが、以前、谷崎の未発表戯曲発見として騒がれた「誘惑女神」(「中央公論」昭6011)が、後から実は倉田の偽作であったということが指摘され、一時期ちょっと興味を持ったことがあり、偶々幾つかの情報がございます。その時人から教えていただいた情報などを少し書きますと、管理人様の仰るように、松本克平氏が「古書通信」(平2・3~5)に、「漁書余録~革命劇とソドミー」と題してこのことをおっかけています。その記事に、倉田「栄子の死」春江堂、大1011頃刊、小野清子名義「本朝王昭君」大10刊、倉田「地獄へ堕ちし人々」春江堂、大正期刊行?、がでていますが、これは当時春江堂に小僧として働いており啓明にも面識のあった、後の櫻井書店の社長桜井氏の証言で、自身探求書であったとのこと。他に添田知道のやっていた雑誌「素面」(昭4411)に、桜井氏は「奈落の作家~倉田啓明のこと」という文章を発表されているそうです。残念ながら、桜井氏は既に故人となられています。

 

(無題) 投稿者:管理人  投稿日:1010()212900

萬嘯廬様

yamanaka

克平さんのその記事の事はすっかり失念しておりました。yamanaka様フォロー戴きまして有り難うございます。

 

克平さんが亡くなって蔵書は全てA日書林の古書目録で販売され、残りを神田の市場に出しましたから萬嘯廬様の御推測は正しいかも知れません。ただ何十万円も付いた物は一つもありませんでしたから、余程の珍本とはいえその本屋さんちょっと捻り過ぎじゃないでしょうか。

倉田啓明「心中告白の記」

以下は「新小説」大正二年二月号掲載の倉田啓明「心中告白の記」を打ち出したものです。誤植等も含めて原本に従ったつもりではありますが、何分筆耕時の過失もありましょうからその点はご容赦ください。

 

 情死の美は刹那の美にある。

 私はその瞬間の心持を、こよなく美はしいものとして、畏敬したい。

 人は一生に一度は、心中美を力説する時がある。

 人は一生に一度は、死にたい時がある。

 そは必ずしも厭世哲学の影響ではない。

 さうして、人は一生に一度は心中したいと思ふ時がある。若しこれを為し遂げなかつた人は、その適当な対手を見出さなかつたのに外ならぬ。

 芸術家は心中を謳歌する傾向がある。道徳家はこれを非難するのが普通である。然しながら、是等は真の心中の意義を知らないものである。古来、浄瑠璃芝居によつて謳歌せられた心中には、真に美しいものは殆んどない。彼等にして若し義理の羅絆に囚はれなかつたならば、彼等にして若し金に苦しめられなかつたならば、心中なる者は一人もなかつたであらう。

 私はかゝる心中に何等の意義も価値も発見しない。

 真の心中は、心中をもつて美なるものと意識して、心中するにある。心中したいがために心中するにある。美のために死ぬ。これが心中の最も美しいものである。

 心中既に美である。こは道徳的評価を許さない。超道徳的行為である。

私はかゝる心中を畏敬し讃美して止まない。

 嘗て私も美のために心中したいと思つた時があつた。

 私の芸術的気分の高調と、生理的衝動とがかくの如き祈願を起させたのであつた。さうして私はこれを決行しやうとした。

こは私の自叙伝の中で、最も光彩ある部分である。人はその一生を、最も光彩あるものたらしめるのが、唯一の誇りであらねばならぬ。光彩なき人生は、価値なき人生である。尤も不幸なる生涯である。私は彼の自然派作家の好んで描く、じめじめした現実生活を甚だしく厭ふ。

 私の光彩ある人生の一頁は、明治四十年、私の十七歳の時に開かれた。この年は私の過去生涯に於て、最も印象深き様々の事実を遺した。童貞時代がこの年の夏を以て終つたのもその一つであらう。さうして異性に対する思想や、性欲に対する概念が、新に啓かれて来た。

 けれども、私が心中の対手としたのは異性ではなかつた。

「美しくなりたい。」「美しく死にたい。」この思想は女には分つて呉れなかつた。さうして、私と一所に死なうと約束したのは、米山重三と云ふ、私よりは二つ年下の男の子であつた。重三は大阪のある有名な俳優の許へ養子に行つてゐたが、何か訳があつて実家へ戻つてゐた。実家はその頃、浜町にあつた。私がまだ立教中学の二年生から、三年生になる時であつた。

 その時分の日記の一節に――

 三月二十四日  曇

 朝北村与三郎君より樗牛全集第三巻を貸して呉れと云ふ端書が届いた。その葉書に「友は親しむべし。而かも狎るべからず。」と書いてあつた。不図重ちやんの事を考へると僕に対する忠告のやうにも思つたが、北村はそんなことを知つてゐる道理なし。シセロの格言の受売にあらずやと思つた。午後重ちやんに相談すべく、中の橋を渡ると偶然薪屋の前に立つて僕を招いてゐた。今日は馬鹿に蒼い顔をしてゐる。感冒を引いたと云つてゐた。中洲を歩きつゝ話す。「あたひは兄さんがあるんだから死んでも可い。」と云つた。彼れも亦死を恐れざるものなることを知つた。

 かうして、何んでも二三日してからであつたらう。重三と私とは心中することに定めてしまつた。その方法は砒素の粉末を互ひに自分の腹を切つて出した血潮に混じて、それに酒を注いで飲んで、死ぬのであつた。その日はその年の九月の八日に定めて置いた。

 ところが四月の二日になつて、重三は急性脳膜炎のために大学病院の一室で死んだといふ報知が、一両日も経つてから私の許へ来た。私は何もいふことが出来なかつた。余りの意外な変に驚いたのである。

 雨の降る四月三日に寂しい葬列が、日暮里の火葬場へと向つた。

 其顛末の大体を書けば、こんな事に過ぎない。然しこの間には複雑な事情もあつたのである。

 真の心中は美のためにするといふ、言葉は今でも信じて疑はない。然しながら、心中も一種の自殺である。私は爾来心中といふ事よりも、寧ろ自殺といふものを色々と考へる必要が起つて来た。

 心中の美は要するに、その刹那にある。けれども、心中者それ自らが、心中を美なりと信じて、その美を趁はんがために心中した。のでなければ、何ん等賞讃に値しない、愚劣な行為である。

 それ故、世の心中を云々せんとするものは先づ第一に心中者の心持を洞察する必要がある。単に心中を悪となし美となすのみでは、真の心中の意義を没却したものと云つて可い。

文フリ参加のこと

タイトルを見た通りに違いありませんが、201455日に開かれる文学フリマ(於東京流通センター)に参加いたします。

出展するものは二つ、「富ノ澤麟太郎文集」と「倉田啓明文集」です。

いずれも戦前の無名作家の短編集でありまして、両方ともおよそ60ページ程度になる見込みです。

何分この手の催しに出展するのも冊子を編集するのも初めてですので不手際のいくらかもありましょうが、どうかその辺りは只管お目こぼしをお願いする次第です。

 

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富ノ沢麟太郎文集

表紙(↑)

十六桜

秋情一景

二狂人

木馬の馭者

解題

富ノ沢麟太郎作品目録

 

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倉田啓明文集

表紙(↑)

稚児殺し

地の霊

解題

 

不要とは思いながらも紹介代わりにと少しばかり解題の書き添えも致しましたので、悪文ながらそちらもご一読頂けましたら幸いでございます。

頒価はいずれも五百円を予定しております。どうぞよろしくお願いいたします。

序言

さて、少しの深夜的ノリとその他多少の諸々がありましてblogを始めることと相成ったわけではございますが、まず第一に無精者ゆえに飽きて放置するという可能性が十二分に予想できるということと、そして自分の書いた文章など一月も経てば忽ちにして後悔の念に襲われようということもこれまた十二分に考慮されるわけでありまして、このようなものをやったところで恥晒しになろうということは始めずとも事前から多分に分かりきっていることであります。しかしながら、これはまあ色々と仕方がないことでありますゆえ、ひとつ「斯くすれば斯くなるものと知り乍ら已むに已まれぬ大和魂」とだけ言い置いてこれを序言とでもしようかと思います。